[豆腐のような人に」

人間の柔軟性を豆腐にたとえ、次のような表現をしている。「豆腐は、四角四面の仏頂面だが、軟らかさ申し分なく、身を崩さぬだけの締りもある。煮ても焼いてもよし、沸きたぎる油で揚げても寒天のように空に凍らせてもよい。又相手を選ばずチリ鍋、スキヤキ、おでん、正月の重箱でも仏事のお皿にも一役買う。実に融通が利く。無我の境地に至っている。それは重い石臼の下をくぐり、細かい袋の目を漉して、さんざん苦労したからである。」これに追記すると「初めに冷水の中に漬けられた上で、熱湯の中をくぐり、石臼で自分という形を変え、にがりによって程良い固さとなる」私たちが柔軟性を持つためにもう一つ学びたいものに水がある。水は「器に従う」ことはもちろん、冷やせば氷となり、硬度は鉱石にも匹敵し、さらに温度を加えれば、水蒸気という気体にもなる。豆腐にとって水は欠かせぬ存在である。私達は、往々にして自分にこだわる。こだわることによって鋳物になってしまう。鋳型にはめ込まれた鋳物となって視野は狭く、ちょっとした衝撃で簡単に傷つくのである。豆腐の融通無碍の精神を学びとってゆきたいものである。(暦講座資料より抜粋)

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